第8回 田畑 実 戯曲賞
選考結果
受賞作
『 おーいかえってこーい 』水谷健吾 作
佳作
『 歌舞伎町ノート 』大原渉平 作
『 遺食 』武田宣裕・山川愛美 共作
今年は全国からの応募作品は124本で、これ迄で一番多い数でした。
しかも読み応えのある長編物が多くて、選考にも時間がかかり、1月後れの発表となりましたことをお詫びいたします。
さて、今年はエンターテイメントの面が勝った作品が多く、お話としてはまとまっていて、面白くて楽しいのですが、少し物足りない感じで、この中から1編を選ぶには、甲乙付け難いとの意見が固くあり、該当作品無しではとの意見が出たり、いや、その年年の作品の中から必ず選ぶべきだという意見があったりで、やっと何とか下記のようにまとまりました。
また、賞金等は付きませんが、最後まで選考に残っていました作品の中から、2作品を佳作として掲載させて頂きます。
選考の詳細につきましては、後日、選考委員より発表させて頂きます。
全国の何処かでご活躍されておられる皆様を想像いたしますと、何とも頼もしく、益々のご執筆・ご活躍を願っております。
2025年7月24日
人間座 菱井喜美子
【選考委員】
山口浩章(このしたやみ)
田辺 剛(下鴨車窓)
菱井喜美子(人間座)
選考経過と選評
〈選考経過〉田辺剛(劇作家)
第8回田畑実戯曲賞の選考会は2025年7月22日に人間座スタジオで行われた。選考は昨年と同様に人間座の菱井喜美子、劇作家の田辺剛、演出家の山口浩章らが対面して行われた。今回の応募は124作品で第6回の102作品を越えてこれまでで最多の応募数となった。それにともない告知されていた6月下旬の審査結果発表は延期され先述の日程で選考会を開催、発表ということになった。
審査の方法について、一次選考は一つの応募作につき二人が書面選考によって評価し6月下旬に結果を得て下記の25作品が選出された。対面の選考会ではこれらの作品を審査員三人ともが読んだうえで二次以降の選考が行われた。一作ずつ話し合いを重ね13作品を二次選考通過とした。休憩を挟んだ後に6 作品を最終候補作品として絞り込んだ。
[各次選考通過作品]
以下全作品が一次選考通過、〇は二次選考通過、●(太字)は最終選考作品/順不同
〇木下陽良莉『宇宙人いるけどお腹はすく』
・小林真命『ふぁみこん』
・植田崇幸『おんど』
〇広島友好『青い光』
●臥煙雅『火』
・貞岡秀司『晩節の汚し方』
●大原涉平『歌舞伎町ノート』
・鈴木穣『みらいの教室』
●武田宜裕×山川愛美『遺食』
・三時めき香『オディトゥワー・ロジビジドン』
〇道口瑞之『黒よりも黒い白』
・羽生まゆみ『地下室のダンディ』
〇なかむらりさこ『ルームメイト』
・舟木祐人『リボンの女』
●富野結理『月と幻のワルツ』
●長谷川彩『水心』
〇永瀬杏『燃えてるってだけ』
・レメク『karmic rEtribution』
・森田諒一『理解』
・ナカタアカネ『キラキラヒカル』
●水谷健吾『おーいかえってこーい』
・殖田育夢『揺れる血潮にあおられて』
〇坂本鈴『もしもし(If you can hear me) 』
・吉本拓郎『ある奇妙な獣の物語』
〇川口大樹『溺れるクジラ』
選考通過が叶わなかった作品のなかで『宇宙人いるけどお腹はすく』について、山口は少女と邂逅した宇宙人がそれでも結局地球を滅ぼしてしまう結末の潔さが印象的である旨を述べた。『もしもし(If you can hear me)』について、田辺は一人芝居についての構成と丹念な仕掛けを評価した。
最終候補になった作品のうち、『火』について、菱井は漠然として歪んだ雰囲気の醸成に成功していると指摘した。山口は戯曲の構成に工夫がありミステリーとしての成立をみている旨を述べた。一方、田辺は小学生という人物のリアリティが台詞の面で感じられないと述べた。
『歌舞伎町ノート』について、菱井は作家の大原氏のこれまでの応募作と比べても本作が力作であること、またこの作家でなければ書けないファンタジーだと高く評価し作品の解釈を披露しつつ強く推した。山口はさまざまなファンタジーの要素が最後に現実に戻ってしまう構成について、それはタイトルにも現れているが歌舞伎町を”スケッチ”しているところに留まっているように思われ虚構を貫けられるといいと述べた。田辺は菱井の意見に同調しつつも歌舞伎町という固有名詞が持つイメージを都合よく使っていることに疑問を呈した。
『遺食』について、山口は登場人物の人間関係を描くのに遺体を食するという死者の弔いの問題を重ねることで凄みをもたせていると評価した。菱井は遺体を食するという設定について、田辺は遺体を食するということに社会の同意が成り立つプロセスが省かれていることについてそれぞれ疑問を述べた。
『月と幻のワルツ』について、菱井はほとんど二人芝居だが、その構成がしっかりしていて完成度が高いと評価、山口は幻影に幻影は見えるのかという問いが作品の仕掛けとして機能しているのが興味深いがそれが結末に近い場面でのことでそこまでの冗長さも指摘した。田辺も結末に近い部分への興味はあるけれど一つ一つの台詞の長さに会話として成立していないのではと指摘した。
『水心』について、田辺は写実的な劇世界を描写をする台詞の繊細さが他の応募作と比較して卓越している点を指摘するも作品全体が短いことの物足りなさも述べた。山口もことば選びの巧みさを評価し最後まで続く人物らの微妙な距離感の表現ついて肯定的に指摘した。
『おーいかえってこーい』について、田辺は上演を観る観客を楽しませることの決意とそのための技術と労力が実っている作品であると評価した。菱井も時空を飛び回る劇的な仕組みを理解するのはなかなか難しいがとにかく読んでいて楽しい作品だったと述べた。山口は物語の設定に都合の良さを感じるものの、田辺らの述べることに一定の理解を示した。
最終候補作品の議論を経て、今回は応募数が過去最多ではあったが作品として積極的に推せるものがないと受賞作を出すかどうかの議論が行われ、佳作のみという提案もあったが、その年の一本を出すことで励みにしてもらいたいという意見でまとまった。受賞作としては田辺が『おーいかえってこーい』を挙げて菱井も同意し、山口は反対をしなかった。菱井は『歌舞伎町ノート』の受賞も提案したが田辺と山口の同意が得られず佳作ということで合意された。山口は『遺食』への佳作を提案して受け入れられ今回の結論が得られた。
〈選評〉⼭⼝浩章(演出家)
2018年に始まった田畑実戯曲賞。8年目を迎える今回は過去最高となる124作品の応募がありました。ご応募いただいた劇作家の皆さまには心より感謝申し上げます。
選考過程の詳細は田辺さんが書いてくださっているように、124作品を私と田辺さんで半分ずつ読み、菱井さんは全作品を読んで、誰かが〇をつけたもの、もしくは二人が△をつけた作品を1 次選考通過作品として、その後三人の審査員で話しながら最終候補として6作品が選出され、最終的に水谷健吾さんの『おーいかえってこーい』が、第8回田畑実戯曲賞作品として選ばれました。
とはいえ、前回の受賞作が圧倒的な“研ぎ澄まされた言葉の魅力”で選ばれたのに対し、今回の審査は大変難航しました。最終候補6作品の中から3作品まで絞れたのですが、よく言えばどれも捨てがたい、悪く言うと決め手に欠けるという状態になり、複数受賞にするか受賞作なしで佳作を3 本にするかなど様々なことが話し合われました。私自身、常々「優勝校のない甲子園はないし、金メダルのないオリンピックもない」と言い続けたこともあり、議論の末、受賞作品1 本、佳作2 本という結果になりました。
受賞作品の『おーいかえってこーい』の魅力は、“緻密な時間配分”といえるかと思います。いわゆるタイムトラベルもののドタバタコメディで、舞台は引っ越し作業中の主人公のアパート。上手の壁を抜けると30分後、下手の壁を抜けると30分前の同じ部屋に行けるという設定です。登場人物の登退場や会話の長さを緻密に計算し、おそらく舞台上の時間と観客の実際の時間とをリンクさせることで生まれる面白さは、舞台でこそ活かされるものだろうと思います。
佳作に選ばれた小原渉平さんの『歌舞伎町ノート』は夜の間は花や石が登場するメルヘンの世界で朝が来ると現実に戻るという歌舞伎町自体がもつ虚構性を描いた作品。
もう一本の武田宜裕×山川愛美さんの『遺食』は、遺族が死者の一部を食べることが選択制とはいえ法制化された世界での複雑な人間関係を描いた愛憎劇です。
惜しくも最終選考には残りませんでしたが、木下陽良莉さんの『宇宙人いるけどお腹はすく』は地球を滅ぼしに来た宇宙人と友達と喧嘩中の女子高生の話で、シーンは心を通わせる過程として信仰するが、結局地球は宇宙人に滅ぼされるというラストの思い切りの良さが魅力的な作品でした。また広島友好さんの『青い光』という作品は原発建設で一度は賑わったが、事故でさびれた海辺の町を舞台に、原発事故で亡くなった男の妹が、兄嫁に相続放棄を迫りに東京からやってくるという話で、廃れた街と残された人の空気が色濃く感じられる良い作品でした。
最後に。
私は演出家です。初めのころは戯曲賞の審査などどうやってしたものかと戸惑っていたのですが、何年か審査員をさせていただく中で、言葉に対する執念のようなこだわりが作家の重要な点ではないかと思うようになりました。「言葉」や「文字」だけで表現するからこそ生まれる作家独特の感覚は私にはないもので、そういうこたわりから生み出される作品にであうと、とても嬉しくなります。一方、例えばシーンの変わり目に「暗転」数行あけて「明転」と書いてあるのを見ると、辞書くらい引けばいいのにと思ってしまうことも事実です。もちろんこれは一例なのでそれだけで評価が激変するというものでもないのですが。
来年もまた「言葉」にこだわりをもった作家、作品との出会いを楽しみにしております。
ご応募いただいた皆様、ありがとうございました。
〈選評〉⽥辺剛(劇作家)
水谷健吾さんの『おーいかえってこーい』は、劇場に来た観客を喜ばせることが演劇なのだという確かな決意、それを実現するための技術と労力が実を結んだものだった。正直に申し上げればわたしの趣味の範疇ではないのだけれどその緻密な計算には目を見張った。綻びを指摘することもできるかもしれないがそんな気にはさせないだけの密度と物語の力があった。おめでとうございます。
その他の応募作のほとんどは、かつて「半径5メートルの演劇」と揶揄されたこともあるけれど、作家自身のことなのかはともかく人物の内面を描こうとして、その紹介と自己憐憫が続くばかりだった。そこに演劇としてのたいした仕掛けもなければ、作家の「ことば」に対峙する姿も見えず、わたしとしては無理せず生きてくださいと祈るしかなかった。
その例外は、佳作の二作をはじめ舟木祐人さんの『リボンの女』や森田諒一さんの『理解』、ナカタアカネさんの『キラキラヒカル』であり、さらに永瀬杏さんの『燃えてるってだけ』はどこにでもあるフードコートの風景の時空が歪んでいく描写の不気味さがとても印象深かったし、長谷川彩さんの『水心』の台詞の繊細さ、坂本鈴さんの『もしもし(If you can hear me) 』のリズミカルな物語の運びとその仕掛けにも引き込まれるものがあった。ただいずれの作品にも程度の差はあれ悪い引っかかりや物足りなさがあって、それへの手当てだったり、あるいはそれを問題にさせない力があればいいのにと思っているところに、戯曲賞の選考は相対評価なので、『おーいかえってこーい』の充実はあたま一つ抜けていてこれを無視するわけにはいかなった。
受賞者コメント
水谷健吾
学生の頃、星新一という作家に夢中になりました。学校の図書館、近所の古本屋を巡ってはまだ自分が読んでないものはないかと目を光らせ、時には隣町の本屋まで自転車を走らせました。
20代の後半に演劇と出会いました。シチュエーションコメディという形式に大いに魅了され、ついには自分で書くまでになりました。
そんな僕にとって創作の原点とも呼べる二つの要素を詰め込んだものが今作『おーい、かえってこーい』です。このような素晴らしい賞をいただけたこと、本当に嬉しく思っています。
また、この作品は2021年、2024年と過去に2回上演されました。稽古中に改善された箇所、初演を経て修正された箇所がこの戯曲にはいくつもあります。僕ひとりでは決して生まれなかったやり取りや展開もあり、共にこの演目を作り上げてくれた役者さん、スタッフさんに改めてお礼を伝えたいと思います。ありがとうございました!
==========================================
水谷健吾
1990年生まれ。漫画『食糧人類』(講談社)の原案としてデビューしたのを機に、現在は脚本家、作家として活動中。最後に伏線が回収されるシチュエーションコメディを得意とする。著書に『イミコワ英語』(Gakken)『空白小説』(ワニブックス)などがある。