第6回 田畑 実 戯曲賞

選考結果

受賞作
『涼しい。』合田団地 作

佳作

『冷たい夜を運ぶ』くるみざわしん作

佳作

『太陽(アポロン)のことは知らない』伊豆野眸作

 選考結果を発表いたします。
 今年も全国から寄せられて来ました作品は102本で、しかも1年毎にレベルの高い、読み応えのある良い作品が多くなって来まして、感動いたしております。
 が、この中から1本を選び出すのは困難で、私は今年も2本の受賞作を主張しましたが、そもそも公表では受賞作は1本であり、本来の考え方に戻すべきだとの意見が強く、今年は選考委員が一致して上げていました作品に絞り込むべきだという事になりました。
 それから、賞金等は付きませんが、最後まで選考に残っていました作品の中から、2作品を佳作として掲載させていただくことになりました。
 皆様、本当に素晴らしい作品をお寄せいただき、ありがとうございました。
 これからも、これらの作品が人間座スタジオで出来ますことを夢見て努力して参ります。
 皆様の益々のご執筆・ご活躍を願っております。

2023年6月末日 人間座 菱井喜美子

選考委員
山口浩章氏(このしたやみ)
田辺 剛氏(下鴨車窓)

選考経過と選評

〈選考経過〉田辺剛(劇作家)

第6回田畑実戯曲賞の選考会は2023年6月27日に人間座スタジオで行われた。選考は昨年と同様に人間座の菱井喜美子、劇作家の田辺剛、演出家の山口浩章によって行われた。今回の応募は102作品と前回より大幅に増え、戯曲賞を創設して初めて100以上の作品が応募された。

今回、応募数の増加にともなって審査の方法が変更された。一次選考は一つの応募作につき二人(昨年までは三人全員だった)が評価する書面選考で行い、6月初旬に結果を得て下記の26作品が選出された。同月27日の選考会は二次以降の選考について行われることになった。一次選考を通過した作品について一つずつ話し合いを重ねて13作品を二次選考通過とした。休憩を挟んだ後に6作品を最終候補作品として絞り込んだ。

[各次選考通過作品]

以下全作品が一次選考通過、〇は二次選考通過、●(太字)は最終選考作品/順不同

・大田秀史『風そよぐ町から』

・須賀隆之『その時、風が吹いた』

●伊豆野眸『太陽(アポロン)のことは知らない』

〇七坂稲『四月一日、はふれうす』

・磯谷幸男『遊ぶ女』

〇戸田鳥『三階』

●くるみざわしん『冷たい夜を運ぶ』

・白江夏生み『パーフェクト・ドライブ』

●菊谷浩至『ベンチと芝生』

・高杉征司『遠くに街がみえる』

・長尾ジョージ『フライングフィッシュストーリー』

〇豊田莉子『予光』

〇山中伊織『ほこり食むひと』

・田中海斗『ビートルバム』

・佐藤雅俊『名画泥棒』

・岡本拓也『超現代』

・土屋顕史『なんちゃって病院』

・カドワキタイヨウ『喧騒を尻目に燃焼す』

〇鵜久森達彦『スーパーセル』

〇有田あん『流砂ゑ墜つ』

●寺腰玄『独裁者モロン』

・新井孔央『赤く染まった皮を剥ぐ』

●立田優嗣『不潔な乗客たち』

・菅沢赤士『The Pinpon Way』

〇樋口一『生ききる』

●合田団地『涼しい。』

選考通過が叶わなかった作品のなかで、『流砂ゑ墜つ』について、山口は近松門左衛門の『女殺油地獄』を現代の設定に置き換える作者の手腕を、菱井は登場人物らの描写の巧さを評価した。『生ききる』について、菱井は主人公と同じ女性として興味深く読んだ旨を述べた。

最終候補になった作品のうち、『太陽(アポロン)のことは知らない』について、山口はとある過去の事件のその後を描くのに現代的な視点、つまりなにが本当なのか分からなくなっているという現代への見立てによっていること、またその描写が関係者の現在の生活から神話まで含まれる多層なものになっていることを高く評価した。またタイトルが魅力的であることにも触れた。一方田辺はその一つの事象(とある過去の事件)を描写するアプローチの巧みさは認めるものの多層になってるがゆえに一つ一つの掘り下げが浅く全体として焦点がぼやけているのではないかと指摘した。

『冷たい夜を運ぶ』について、田辺は廃れていく山間の集落の、なんとか生き延びようとする意識の集合のようなものが集落から離れた場所を舞台にして描かれているが、その地縁の暗い力はすべてを差配する登場人物をも人形のように操っているようだと魅力を語り、その作劇の技術やタイトルの巧さを高く評価した。

『ベンチと芝生』について、菱井はこれが戯曲かと上演できるものかと思ったがそのことにかえって魅了されたと評価した。山口は内容としては昏睡状態の女性が目覚めるだけの物語なのだがその目覚めの瞬間には感動したと、さらに延々と続くことばのやり取りがそうした昏睡状態ゆえのことなのか確かめようはないが興味深いと述べた。一方田辺はいわゆる夢オチとの類似する構造を問題視して台詞や対話の魅力も他の二人ほどには感じられない旨を述べた。

『独裁者モロン』について、菱井は架空の世界設定でありながら物語が滑稽に展開し退屈しなかったと高く評価し、山口は政治体制への恐怖ではなくそれへの反抗の面倒くささから従うという現代の市民の一面を描いている点が興味深いと指摘した。一方田辺は執筆された小説の内容を劇のカタチで説明するという方法に問題を感じると述べた。

『不潔な乗客たち』について、山口は亡き友人のことが淡々と語られるなか(それはそれで不気味ではあったが)、最後で起こる事実の発覚がそれまでの会話の裏側を示し、真実ははっきりとは分からないものの怖さを感じさせて見事だと高く評価した。

『涼しい。』について、山口はある女子高生の行動が明確な意思や理由があるわけでもなくいわば気分によっている点に注目し、ちなみに菱井はそれゆえ女子高生の事情がよく分からないのが作品の難点だとも指摘するが、その気分しかないことをもって人物を描けていないとみるか、そもそも人には気分しかないことを描こうとしているのかで評価が分かれるだろうと述べた。田辺はその人物像をつかみかねるところこそが魅力で、気分が支配する会話の台詞の巧さは応募作のなかでも抜きん出ているとタイトルの良さとともに評価した。一方で主人公のモノローグに頼った戯曲の形式について疑問を呈したが、たとえそれが欠点であってもこの戯曲にそれ以外の方法はないだろうと述べた。

最終候補作についての議論を経て、受賞に相応しい作品には『涼しい。』を三人の審査員ともが挙げた。その他に山口は『太陽(アポロン)のことは知らない』と『不潔な乗客たち』、田辺は『冷たい夜を運ぶ』を挙げた。『涼しい。』の授賞に異論は出ず、同作の単独授賞にするか他の作品との同時授賞にするのかの議論があったが、『太陽(アポロン)のことは知らない』と『冷たい夜を運ぶ』を佳作とすることで決着を得た。

〈選評〉⽥辺剛(劇作家)

作品にどんなタイトルを付けるのか、その名付けの作業はいつも困難だが、今年の候補作には内容もさることながらタイトルが素敵で嫉妬すら感じるものがいくつもあった。

戸田鳥さんの『三階』は、季節外れの大雪で玄関が埋まってしまい弟に手紙を取ってきてと頼まれた兄が窓を出れば「二階から降りてきたんだから、どちらかというと一階」であるはずなのに喋るポストにそこは三階だと言われ、手紙の行方を追うことになる物語。小品ではあるが詩情に満ちた作品だ。手紙を、手紙という存在を誰も知らず、何か伝えたければ劇場に行けばいいのにと誘われ、舞台に降らせる雪を作る作業をさせられると切り刻んだ紙が当の手紙であったりとイメージの飛躍が続く。それが荒唐無稽な羅列になってしまわないのは、どんな飛躍があっても、例えば手紙や雪、紙片という白の色彩感をはじめとしたイメージの一貫性が失われていないからだ。さらには台詞が安易に読者や観客へ向かうことなく劇世界のなかで響くように綴られていること。その台詞は口語であると同時に詩であることが作家の文体によって保証されていて、その音が劇世界の外に漏れ出るノイズになっていないことが劇世界の静謐を保っている。そしてすべては「三階」、その意味は幕切れに分かるが、その場所のことだとされる。不思議な旅路もシンプルな事実、そこは「三階」であるということに収斂させられている。散文で書けば数行で終わることをイメージ豊かに膨らまる試みが失敗にならなかったのは、このタイトルがイメージの散乱を防ぐからだ。このタイトルを忘れてしまうと作品の魅力の半分に気づかずに終わるだろう。その他にイメージの飛躍が豊かな作品として豊田莉子さんの『予光』も印象に残っている。

くるみざわしんさんの『冷たい夜を運ぶ』は谷と呼ばれる廃れた集落がなんとか生き延びようとする執念が、あるいは怨念ともいえるものが滞留する宿が舞台。その冷たさと重さに息苦しくさせられる。重要なのはその舞台が当の集落ではなく、遠く離れた町にある出先機関のような宿になっていることだ。どんなに離れていようとも、むしろその距離が離れるほどに集落の地縁はその出身者を強く縛る。ある人物、さまざまなトラブルに対処しすべて采配するような人物もあの集落の執念が操る人形のように思われて怖かった。見えないものに目をこらし聞こえないものに耳を澄ますこと。この作品の底にそんな姿勢をわたしは感じてそれに強く賛同する。また台詞や構成の技術は今回の応募作のなかでは群を抜いていた。そしてやはりタイトルだ。「冷たい夜」が示す、わたしのことばで言えば集落の執念と、「運ぶ」が示す二つの場所の間(あいだ)が合わさって作品全体が的確に象徴される。

合田団地さんの『涼しい。』は、審査員の山口さんのことばを借りると「気分」によって、つまり確固たる信念があるわけでもないまま踏み出した女子高生である「私」の家出の話だ。この物語がなぜ『涼しい。』と名付けられたのかは最後の最後まで分からない。声をかけてきた男とホテルに行くも結局その男をナイフで刺してしまった「私」は、一人ホテルの外に出たときに夜明けの風を「涼しい」と感じる。「一昨日とか昨日とかの夜はあんなに寒かったのに」その時だけはずっと歩いていたからなのか人を刺して興奮しているのかそう感じると言う。なにごとも気分次第で、自身の感情は時折顔を覗かせるものの、身体感覚についてはほとんど麻痺しているような「私」に初めてそれが自覚される瞬間が幕切れである。そこで表現されているのは、身体が火照ることによって寒さを涼しいと思わせる感覚の変化こそが、確かに自分がいまここにいるという実感への手がかりであり、さらにそれは微細でまたたくまに消え去ってしまう(すぐに「寒い」に戻ってしまう)ものだという現在のわたしたちへの見立てである。女子高生の成り行き任せのプチ家出という表層だけが注目され、それが作品の全体だと思われそうではあるが、確かにその旅路の描写も充実しているし淡々としたやり取りに人物らの態度が刻々と変わる経過をことばでつむぐ見事さも注目すべきところであるが、この作品の核心はことばでは直接に告げ知らせることができない身体感覚の変化であって、それが『涼しい。』という作品への名付けによって明確にされている。このタイトルなしではこの作品は完成しないだろう。これが間違って例えば『家出』などというタイトルになっていたらと思うとゾッとする。すべて台無しだ。

問題なのは作品全体が「私」自身のモノローグ(独白)によって構成されていることだ。気分によってほとんど成り行きで家出をする「私」のことを「私」のモノローグが描写する。だから物語の現在時は、家出をする「私」をモノローグで語る「私」であり、つまりこの作品はかつて家出をした「私」のことについての語りである。あるいは「私」の家出はまだ続いているかもしれないがそれは分からない。何が問題かと言うと、過去(「私」によって報告される、家出を始めて男を殺すまで)と現在(「私」が報告している当の時間)のあいだの時間の差について、具体的には、整理され詩的でもある報告を饒舌にできるようになった現在時の「私」について棚上げされていることだ。これを語り(モノローグ)によってこの作品を成り立たせようとした代償として大きなモノと見ればこの作品は肝心なことをまったく語っていないことになる。当初わたしはこの点を作品にとって致命的ではないかとも考えたが、他の審査員と議論をしているうちにこの代償を回避する手段はないように思われ、つまりこの作品はこの代償を孕まないことには成り立たないのだと考えるようになった。そして一周まわってタイトルの話になる。「涼しい」という肌身の感覚に句点が添えられていること。『涼しい』ではなく『涼しい。』とすることで、合田さんが意図してそうしたのか無自覚なのかは分からないが、「私」の家出は語られるモノであることがあらかじめ明示されており、そのことで先に述べた代償なるものが解消されるわけではないが、やはり「私」のモノローグはこの作品にとって必然であることが保証されている。こうしたことからわたしは、たった四文字のタイトルだけでもこの作品は授賞に値すると思った。

選考会でわたしは『冷たい夜を運ぶ』か『涼しい。』が授賞されるべきだと思って臨んだ。

〈選評〉⼭⼝浩章(演出家)

 第1回の時に応募が34作品だった田畑実戯曲賞ですが、六年も続き、今年は102作品の応募がありました。人間座の菱井さんの続ける努力に頭が下がる思いと共に、ご応募いただいた劇作家の皆さまには心より感謝申し上げます。

 選考会では、上記の過程で選ばれた26作品について話し合いが行われ、最終的に6作品が最終候補作となり、合田団地さんの『涼しい。』が受賞作に選ばれました。

 『涼しい。』は家出した女子高生の話なのですが、特筆すべきは、この女子高生には「気分」と「周囲の状況」しかないということです。家出をする際も明確な「不満」や「願望」があってのことではなく、「なんとなく、いや」なだけなのです。最初のシーンからそのことは徹底していて、今から家出をするという場面で、友人と太陽の色は赤かオレンジか、オレンジはもっと赤いのか黄色っぽいのかという印象の話をしています。ですので、家出といっても明確な計画もなく、何がどうなればいいのかという目的もなく、女子高生はただ「周囲の状況に」その時の「気分」で対応していきます。そうしているうちに不本意ながら人を殺してしまう話です。女子高生ということで、そういうこともあると思ってしまいますが、おっさんだろうと、おばさんだろうと、実はあるのは「気分」だけで、それに色々理由をつけて「思想」や「意志」のように見せかけているだけではないかという問いかけのようにも感じました。タイトルの『涼しい。』からして個人の感覚です。世界や人間というものは絶妙なバランスで偶々そうなっているだけで、もっと危ういものだということなのかもしれません。「気分」と「周囲の状況」しか要素がない中の、絶妙な危うさがこの作品の魅力だと思いました。

 受賞作が決まった後、菱井さんから「第3回から第5回まで受賞作品が二作品だったのに、今年は一作品なのはいかがなものか、もう一作品あった方がよいのではないか」という提案があったが、田辺さんと私は「なるべく沢山の人を応援したい菱井さんの気持ちは理解できるが、原則として受賞作は一作品。審査員の中でどうしても譲れない部分があり、選びきれず二作品となった第3回から第5回の方が、イレギュラーな結果だった」と考えており、今回は3名ともが納得できる選考結果だったため、逆に「もう一本決める方が困難」という意見だった。そこで、第2回の時に、私がどうしても評価したいと無理を言って設けてもらった佳作を採用してはどうかということになり、くるみざわしんさんの『冷たい夜を運ぶ』と伊豆野眸さんの『太陽(アポロン)のことは知らない』が佳作に選ばれました。

 くるみざわしんさんの『冷たい夜を運ぶ』は、谷の集落と県庁のある街の間にある「おみだや」という宿が舞台となっており、県庁職員の三沢は県議会議員になるため、谷で起きた殺人まで含む様々なことを「なかった」ことにする。長年閉ざされた「土地」とそこに根差した「人々」が、見えない檻のようなものに捕らわれ、谷を離れても冷たい夜から逃れることはできず、谷のことを憎んでいても冷たい夜に飲み込まれていく。読み終わった後、後頭部に暗く冷たい光景がこびりつくような強い作品です。

 伊豆野眸さんの『太陽(アポロン)のことは知らない』は、複雑な構造を持つ作品です。十年前に起きたバスジャック事件。その被害者の義手を作るためのクラウドファンディングが立ち上がり、話題になる中、ネットで記事を書いている三浦小豆は記事執筆を依頼され、事件を調べていくうち、違和感を覚える。一方、小豆はイラストレーター志望のキム・リカとルームシェアしているが、小豆が生活費を稼ぐためにリカへのヘイトをネットにアップしていたことが分かる。過去の事件の謎、小豆とリカの生活、絵画「イカロスのいる風景」など、物語は神話、事件、生活、ネットの陰謀論と、多層的につながっていきます。心をすり減らしながらも、生きるために様々なものを利用し、それでも世の中に埋もれてしまう、何を信用してよいのか分からない現代を描き出すような作品です。

 上記三作品以外にも、最終選考に残った立田優詞さんの『不潔な乗客たち』の、それまでずっと続けられる違和感のある会話を最後に全部ひっくり返す見事さや、寺腰玄さんの『独裁者モロン』の消極的な受容が強固なディストピアを産む感覚、菊谷浩至さんの『ベンチと芝生』の強烈な言語感覚など、どれも魅力的な作品でした。

 それ以外にも、一つ一つ細かく書くことはできないのですが、天乃こどもさんの『すべての演劇を過去にする電話』、赤井野々華さんの『好色少女』、高尾優太さんの『骨の見舞い』、中辻英恵さんの『善意と傘』、やまもとあやさんの『薔薇を撫ぜる』などは特に興味深い作品でした。

 最後に今回ご応募いただいたすべての劇作家の皆様に、御礼申し上げます。ありがとうございました。また皆様の作品に出合える機会があれば幸いです。