第5回 田畑 実 戯曲賞

選考結果

受賞作
『うるしの沼』ピンク地底人5号 作

『ラブの餓鬼道』川辺恵 作

 ご応募くださいました皆様、結果発表が遅れましたこと、深くお詫び申し上げます。
 さて、やっと選考を終えましたが、今回は例年になく、ページ数の多い、内容の重厚な作品が多く、しかも応募数が70本の中からの1本の大賞ですので、なかなか選びきれずに、今回もまた2本の作品を並べる結果となりました。
 私共の「賞」に対する信頼を欠くとの懸念もございましたが、それほどにそれぞれの作品が拮抗していて、優劣つけ難いのです。
 私個人的には、内藤裕志作『ポーリナーの冬物語』と浦野遠弥作『サンセット・ドリーム』を考えていましたが、最後は、今回選ばれました両氏の、初回から締めることなく、意欲的に創作され続けておられる姿勢に、今後へのご活躍の期待も込めまして、選ばせていただくことになりました。
 また、私共では、当初、受賞作を舞台化することを公言していましたが、コロナ禍とスタジオ問題が派生しまして、第1回の受賞作『ひたむきな星屑』(柳生二千翔作)と第2回の応募作品『靴を失くして』(吉村健二作)の2本しか実現できていませんが、もう一度また拝読しました作品を随時上演して行こうと考えております。

2022年7月24日 人間座 菱井喜美子

選考委員
山口浩章氏(このしたやみ)
田辺 剛氏(下鴨車窓)

選考経過と選評

〈選考経過〉田辺剛(劇作家)

第5回田畑実戯曲賞の選考会は2022年7月22日に人間座スタジオで行われた。審査は昨年と同様に人間座の菱井喜美子、劇作家の田辺剛、演出家の山口浩章によって行われた。今回の応募は70作品と前回より大幅に増えた。もともとの選考会は6月末までに実施される予定だったが応募数の増加によって会は延長され同日になった。

まず、全作品を読んだなかから受賞に推す作品、あるいは議論の俎上に載せるべき作品を三人それぞれが挙げるところから始まった。一人でも挙げる作品があればそれについて議論をすることとして30作品が議論の対象となり、それら一作品ずつ話し合いを重ねて下記の24作品を一次選考通過作品、そのなかの11作品を二次選考通過、さらに5作品を最終候補作品として絞り込んだ。

[各次選考通過作品]

以下全作品が一次選考通過、〇は二次選考通過、●(太字)は最終選考作品/順不同

・吉村健二『楠木太郎氏の庭』

・清水周一『ズートピア』

・インコさん『ヘルポエマー桜子』

●川辺恵『ラブの餓鬼道』

・角田達朗『擬-MODOKI-』

・ザビエル•ミサイル•ヒポポタマス『もやっぽい針の先』

●伊豆野眸『狼煙の豚』

・花房ハナ『綱領』

●内藤裕志『ポーリーナの冬物語』

・笠羽流雨『ミルク』

〇ウラノタツヤ『サンセット・ドリーム』

・叶和泉『あの日見た、青空は』

〇仲村波都『アウサカ•ベイ•ブルース』

〇福井しゅんや『歪ハイツ』

●ピンク地底人5号『うるしの沼』

・恵南牧『ぜんまい』

〇工藤舞『最期にボーイ・ミーツ・ガール』

・中越信輔『骨骨群集』

・天乃こども『舞台のみず』

赤井野々華『閃光少女』

〇広島友好『オトーサンの甥』

●國吉咲貴『ベチャロンドン』

・菅井啓汰『ナマリの銅像』

・森田諒一『泥人形』

選考通過が叶わなかった作品のなかで、『サンセット・ドリーム』について菱井は、空想的な世界もありつつ人生についての見通しある厳しさを描けていると高く評価した。また『アウサカ•ベイ•ブルース』について田辺は、オリジナリティのある物語世界が実現されており特に長い台詞にことばの力を感じると次作に期待する旨を述べた。

最終候補になった作品から受賞作について、菱井は『ポーリーナの冬物語』、山口は『ベチャロンドン』、そして田辺は『狼煙の豚』を挙げた。次点として菱井は『うるしの沼』、山口と田辺は『ラブの餓鬼道』を挙げた。今回は三人ともが推す作品は一次選考からなかった。

『ポーリーナの冬物語』について、菱井は登場する年老いた女優の心情が手に取るように分かり感動した、人間座で上演したいと強く推し最後まで受賞作にとこだわりをみせた。一方山口は、登場人物がステレオタイプで演劇の稽古場の描写にリアリティがない旨を述べた。田辺も、主人公である女優の成り立ちや言動にリアリティが感じられないことや引用による劇中劇の部分が多すぎることを指摘した。

『ベチャロンドン』について、山口は「ベチャロンドン」なる架空の怪物に悩まされる人々がコロナ禍で生活を左右される現在のわたしたちと重なるようで、その描写が閉じた物語になることなく実現していると高く評価した。一方菱井も田辺も山口が言うようには評価できない旨を述べた。

『狼煙の豚』について、田辺は閉塞感のある物語世界だが今回の応募作のなかではもっとも印象深いと述べた。山口は一定の評価はしたが物語世界に既視感があると、菱井は非現実的な要素が理解できないと述べた。

次点として挙げられた『うるしの沼』について菱井は、街の人々への冷静な視線とそれによる描写には卓越したものがあると高く評価した。山口も一見何が描かれようとしているのか分かりにくいがだんだんに魅力が感じられる旨を述べた。一方田辺は、その場に停滞する人々の描写は成功しているとは思うがそれ以上の魅力は感じられないと述べた。

山口と田辺が次点に挙げた『ラブの餓鬼道』について田辺は、ホテルの部屋でパーティーを開く若者たちの一人が不意に亡くなってしまう状況がみずみずしい文体で描かれていて、生きている者と死んだ者との対比が鮮やかであることを評価しつつ時間が巻き戻された後半の場面に疑問を呈した。一方山口は、後半の場面について、皆が盛り上がっている状況にもつねに死が側にあるという視点で描かれたものだと肯定した。菱井は一定の評価をしつつ俯瞰した視線による描写の物足りなさなどを指摘した。

受賞作について山口や田辺は一本に絞られるべき、菱井は素晴らしい作品が多く二本出したいとそれぞれ述べた。ただ今回は授賞にふさわしい作品が審査員それぞれで違い、ある審査員が一番に挙げた作品は他の二人がはっきりと拒否をすることになり議論がなかなか進まなかった。そんななか『うるしの沼』と『ラブの餓鬼道』に注目が集まり、はじめ『うるしの沼』の単独受賞になりかけたが、菱井が『ラブの餓鬼道』にも授賞をと提案した。山口はそもそも『うるしの沼』よりも『ラブの餓鬼道』の方を評価しており、田辺も次点に挙げていたことから反対はしなかった。それから流れは『ラブの餓鬼道』の単独受賞にもなったが、菱井の強い主張により二作への授賞となった。審査員それぞれに推したい作品が違うなか、例年よりも熱い駆け引きが繰り広げられる選考会だった。

〈選評〉⽥辺剛(劇作家)

伊豆野眸さんの『狼煙の豚』はさまざまな隠喩にあふれた作品だ。「ミクニ」というご神体、偽りの手紙、まぶしすぎる冷蔵庫、顔は豚で体は人という謎の生き物などそれらによって作られた、悪い夢でも見ているかのような世界がそこには立ち現れていた。これが映像作品ならば不気味さのリアリティが強くなりすぎて、それはそれで注目されるのかもしれないが、気持ち悪さだけが目立つのかもしれない。けれども演劇ならばどうだろう、CGを含めた映像のリアリティにはかなわないということが逆にそれぞれの題材の隠喩性を強調するのではないだろうか。その物語世界の在りかとして演劇あるいは戯曲は適しているように思われたし、というのも今回多数の応募作があったものの「それは戯曲じゃないとダメですか」と言いたくなるような、映像への憧れが透けて見えるようなモノがあまりに多くて辟易としていたところでこの作品は一筋の光明のように思われたのも事実なのだが、とにかくその不可解な物語の引力は応募作のなかでも際立っていた。一方で、隠喩にあふれたさまざまな題材はプロットの上に配置されており、つまりは理路整然となっていて、あるいは題材が多すぎてそうならざるをえなかったのかもしれない、それぞれが物語のなかで孤立しているように思われた。題材の影と影とが重なってできる、暗がりのもう少し濃いところこそが隠喩の効果なのだけれど、プロット上に整然と配置されたがゆえに「よく分からないものがたくさんある」という印象にとどまってしまい実際他の審査員からはそうした指摘もあった。また登場人物の物言いの下品さは作家の頭で考えられた偽悪な印象を拭えなかった。

別役実は舞台に死体があることについてそれが「本来存在の根源にかかわるものだけに、その反応もまた根源的なものにならざるを得ない」と言う※。川辺恵さんの『ラブの餓鬼道』ではダンスサークルに所属する女子大生らがホテルの広い部屋を借り切ってパーティーを開いているなか不意にその一人が飲み過ぎたせいで亡くなってしまうところから始まるが、若者らの溢れんばかりの活力の輝きとそれがまったく消失された死体との対比が鮮やかだ。なによりこの作家の優れた台詞、人の口から発せられることば(台詞)が属するのはあくまでその身体であって本人の思想や感情ではないということがおそらく生来的に把握されている、そのみずみずしい台詞が弾めば弾むほどに死体との対比はさらに鮮やかになり「存在の根源」が見事に浮かび上がる。不意な死に戸惑う面々の言動は決して紋切り型ではなく「存在の根源」が揺さぶられていることが滑稽にすら感じられるように表現されている。彼女らはいったいどのように朝を迎えるのか、迎えられるのかとても期待させられつつ進行する前半だった。前半だったのだ。ホテルのフロントにみんなで言いに行こうよと部屋を出て行って (誰か一人ではなくみんなで行こうとするところも実に良いと思う) 無人になる部屋の空虚さに感心させられる。まもなくやはり踵を返して皆が戻ってくるのかと思わされるところで前半は終わるのだが、後半は時間が巻き戻されて彼女らが初めてその部屋に入ってきたところから始まる。そして酒宴が始まるところで作品そのものは幕を下ろす。この作品の構成をどう考えるべきかが審査会でも議論になった。わたしはこの構成には納得がいかない。先ほどまでともに盛り上がっていた仲間の一人が不意に死んで、そのことを周りの者がどう受け止めるのか、あるいは逃げ出すのか、そうした状況をとことん最後まで描くことがこの作品の核心だと思うからだ。事故が起こるまでどのように盛り上がっていたのかは前半でおおよそ察しがつくし、実際後半の描写は察しのとおりだった。後半で時間を巻き戻してみせた結果は、ある人物の死の経過を説明するだけのものになってしまった。例えばすぐそばに死体があるのに「とりあえずちょっとよく分かんないけど飲み直す?」と誰かが言い出すことで彼女らが己の身体と死という現実とに引き裂かれる、そんな描写が目指されていたのではないのか。実際に引き裂かれてしまったのはわたしの方で、それゆえ今回の作品を一番に推すことはためらわれた。わたしにとって救いは審査員の山口さんがその後半の意義を肯定的に評価したことで、それによって受賞作になったのは嬉しかった。

ピンク地底人5号さんの『うるしの沼』は、タイトルどおりの沼にいる感覚を与えてくれる。諦めや停滞といったことばが相応しい場が目指されていたしそのことには成功しているが、なぜその場にわたしが付き合わねばならないのかと読者として締め出されているように感じられた。読み手が興奮できねばならないということではない。けれども例えば鈴江俊郎のある作品は、一見重い現実を観客に突きつけるだけのようだが発話でもあり詩でもあるような台詞がその重さに美しさを与えることによって作品の普遍性が担保されている。『うるしの沼』はその点で閉じた世界が閉じて描かれているように思われた。もちろん目論見を成功させるだけの筆力は感じさせるし、結果としてはこの作品を強く推す菱井さんをわたしは信じることにした。

もう一つ特筆すべきは赤井野々華さんの『閃光少女』だ。可愛さへの憧れや嫉妬に狂った少女の、これもまさにタイトルどおり閃光を見るような作品だった。物語そのものはありふれたものかもしれないが、読ませる力のあることば(台詞)は現代の過剰なルッキズムをよく写し込んでいる。一人芝居という設えもその少女のあまりに閉じきった世界を表現するのに適していたが全体として語りに寄った構成と粗さが惜しまれて、けれどもこの作家さんが書かれるごとに作品の魅力は増していくだろうと思う。次作に触れる機会があればぜひ拝読したい。そのほか、仲村波都さんの『アウサカ•ベイ•ブルース』がつくる物語世界の独特な匂いと特に長い台詞に感じられる輝き、また『歪ハイツ』という筆量の多い作品を書ききった福井しゅんやさんの執筆への執念に感嘆させられた。

※=別役実『別役実のコント教室 不条理な笑いへのレッスン』2003年,白水社

〈選評〉⼭⼝浩章(演出家)

当初、6月末を予定していた選考結果の発表が遅れ、皆様をお待たせしてしまったこと、お詫び申し上げます。

田畑実戯曲賞も5回目を迎え、今年は10代から70代まで、70作品の応募をいただきました。人間座の菱井さんの「何か若い人らを応援する方法はないやろか」との思いから始まった戯曲賞で、第1回から審査をさせていただいて、これほど多くの方がご応募下さるようになったことはありがたい限りです。

この選評を執筆するより先に、菱井さんから選考結果の発表がありましたが、その文章の中に気になる表現があり、誤解を招く恐れがあるので、書かせていただきますと、菱井さんと田辺さんと私で審査をさせていただく中で、三者三様の読み方があり、それぞれの好みも違うので、審査会は紛糾します。自分が評価する部分が他の一人にはマイナスのポイントだったり、その逆のこともあり、本当に毎回気づかされることが多いです。

もちろん三人で審査をしているのですから、だれか一人がとても面白いと思っても、その作品が受賞するとは限りません。最初から三人の評価が一致すればよいのですが、なかなかそうはなりません。三人で議論を重ねた結果、最初は誰も推していなかったものが選ばれることもありえます。その場合にしても、議論の中で最初は見えなかった魅力や評価できる点が見えた結果、選ばせていただいています。少なくとも私は「諦めない姿勢」や「今後の活躍への期待」等の理由で作品を評価したことはなく、回の選考も評価に値する理由があって選考させていただいたということは明記させていただきます。

そんな中、今回は川辺恵さんの『ラブの餓鬼道』とピンク地底人5号さんの『うるしの沼』の二本が受賞作に選ばれました。

川辺恵さんの『ラブの餓鬼道』はOGの結婚式に招待されたダンスサークルの6人が、結婚式の後、ホテルで先輩2人の引退式を兼ねた女子会をしていたところ、メンバーの一人が急性アルコール中毒で死んでしまったという話です。前半、隣の部屋のベッドに死体がある状態で、困惑した5人が、誰が悪かったとか、これからどうするかという話をし、後半、ホテルでサプライズ引退式の準備をしているところから一気飲みをする場面までが描かれます。

この前半と後半の時間軸を逆転させたところが、いわゆる「種明かし」のようでマイナスという意見もありましたが、私には「頭の中に死体を置かれた」ように感じられ、どれほど楽し気に引退式の準備をしていても、同級生にツッコミを入れていても、頭の中に置かれた死体の重さを感じ続ける仕掛けとして機能しました。

作品の冒頭のシーンで、結末を見せる作品は良くありますが、この作品では前半分を、実際に舞台上に死体が置かれたシーンに費やしていること。どうしようもなく癒えようのない傷を追うまで、軽く浮かれたような会話を続けることで「頭の中に死体を置く」ことに成功したのではないかと思われる作品。

ピンク地底人5号さんの『うるしの沼』は、特定の場所の「不吉」な感覚を刺激する作品です。場所は地味な喫茶店。登場人物には若い人も多いし、会話が弾まないわけでもない。しいて言うなら、喫茶店になる前、その建物に住んでいたミノリが死者となった今でも住んでいるが、そのことによって場所が「不吉」になっているのでもない。喫茶店の店員や客はそのことに気付いていない。ミノリの友人であるユキエはミノリと会話もするが、そこからストーリーが展開するわけではない。ただ、現象としては例えば店内の電灯が切れていて、直そうとするが、直らない。こうしたことに象徴されるように、この場所はゆるやかに時間を飲み込んでいく、まさに沼のような場所と言える。不吉な場所だから、ある種の諦念を持った者が集まるのか、彼らが集まったから不吉さを帯びたのか、作品を読んでいる途中はそれほど「不吉」とは感じず、面白い会話という印象だが、読み終わった後に「不吉」な印象が押し寄せる。読んでいる途中と読み終わった後で印象が異なるのが魅力の作品。

今年度の応募作品は非常に幅が広く、読んでいる途中ずっと『4分33秒』と『G線上のアリア』どっちが優れているか問われているような感覚でおりました。そんな中、話し合いの結果、上記2作品が受賞作として選ばれました。

上記2作品以外にも個人的に気になった作品がいくつかありましたので、この場を借りて紹介させていただきます。

角田達朗さんの『擬—MODOKI-』は古典狂言の『文荷』と高校生のLGBTQに関することも交えた恋の話をうまく融合させたもので、何かになりきれない思いや桜桃(ユスラ)の実の色っぽさが印象的でした。

花房ハナさんの『綱領』は異常に回りくどい文体が魅力で、いちいち物事をはっきりさせながら話すと飲み屋で椅子に座るのも一苦労というようなバカバカしさとのギャップが面白い作品でした。

天乃こどもさんの『舞台のみず』は舞台というものに対する認識や受容の仕方に対して、いわゆる戯曲のように、想像されることを拒否するように書かれたもので、散文の形式で、発話の指定もあえてしないという手法で、何が発生するのかという試みでしたが、私には最終的に擬人化された「舞台」と「人間」のかわいらしいエピソードのように見えました。「作家」と「戯曲」、「戯曲」と「上演」などの在り方は常に付きまとう問題で、私が文字にすると陳腐ですが、こうした試みは続けていただきたいと思います。

國吉咲貴さんの『ベチャロンドン』は隣村にベチャロンドンという謎の巨大生物が出現したという設定で、異常だとは見られたくないが、特別ではありたいという人々の思いが、不幸を羨んだり、他者からは奇異に見える行動をとらせたりするというものです。実在しない巨大生物や、インコを人と認識しているさまなど、世界はそれぞれの見方で存在するという幸福論のような作品。

森田諒一さんの『泥人形』は軽快なセリフのリズムとは裏腹に、境目のあいまいな他者の言葉の引用によって、今誰と誰が話しているのかが曖昧になる不思議な作品です。葬儀のシーンを描いているのですが、誰が死んだのか分からなくなるような、酔ってくらくらするような印象と、退廃的な雰囲気、軽やかで歯切れの良い言葉の選択が面白かったです。

最後に多くの作品に出合わせていただいた田畑実戯曲賞と、そこに応募してくださった皆様に感謝の意を表し、皆様の今後のご活躍を祈願して、選評を締めさせていただきます。ありがとうございました。