第7回 田畑 実 戯曲賞

選考結果

受賞作
『G線上のいもうと。』堤 千尋 作

 今年も全国から71作品の応募があり、その中にはアマ、プロを交え、高校生から80歳代のご高齢者もおられるという、広がりをみせている賞ですが、日本の何処かで、演劇に情熱を燃やしておられる皆様がおられ、その逞しい精神に触れることができまして、私達の方こそ感銘を受けております。
 皆様、ご応募、ありがとうございました。

 さて、今年の選考結果は、17歳の高校生が書かれた作品に決定いたしました。
これには選考に加わりました私がびっくり仰天しているのですが、——上演に耐え得る作品や、舞台化された作品も多数ある中からの選考結果ですので驚きです。

 私達は、皆様の作品を舞台化したいとの思いを、諦めずに持ち続けております。
 皆様もこれかれも良い作品を書き続けて下さることをお願いいたします。

2024年6月26日

人間座 菱井喜美子

【選考委員】
 山口浩章(このしたやみ)
 田辺 剛(下鴨車窓)

 菱井喜美子(人間座)

選考経過と選評

〈選考経過〉田辺剛(劇作家)

 第7回田畑実戯曲賞の選考会は2024年6月25日に人間座スタジオで行われた。選考は昨年と同様に人間座の菱井喜美子、劇作家の田辺剛、演出家の山口浩章らが対面して行われた。今回の応募は71作品で前回より減った。

 審査の方法は昨年より変更されている。一次選考は一つの応募作につき二人が書面選考によって評価し6月初旬に結果を得て下記の16作品が選出された。これらの作品を審査員三人ともが読んだうえで同月25日の選考会は二次以降の選考について行われた。一作ずつ話し合いを重ね8作品を二次選考通過とした。休憩を挟んだ後に5作品を最終候補作品として絞り込んだ。

[各次選考通過作品]

以下全作品が一次選考通過、〇は二次選考通過、●(太字)は最終選考作品/順不同

 ・ビト『椅子は椅子』

 〇私道かぴ『かいころく』

 ・広島友好『母のこたつに雪ふりつむ』

 ●藤代耕平『コンビニエンス・スペースシップ』

 ・高間響『東京ご臨終~インパール2022+1』

 ・岡田鉄兵『ゆるやかな自殺』

 ●街の樹『すっからかん』

 ・武田暢輝『水の綻び』

 ●向坂達矢『私は』

 ●山本タカ『猛獣のくちづけ』

 〇田宮ヨシノリ『深呼吸』

 ・朝田大輝『もっともらしく押す』

 〇西本浩明『鬼より怖い』

 ・寺師良克『世界で一番あつい壁』

 ・大原涉平『メーフ』

 ●堤千尋『G線上のいもうと。』

 選考通過が叶わなかった作品のなかで、『かいころく』について、田辺は男の人生を語って聞かせるのに確かな文体がありイメージを喚起する力が強い旨を述べた。『深呼吸』について、山口はたとえ話が多い会話は表面的なようでいて読者を気づかないうちに物語の深いところに引き込む、独特で不思議な作品と評した。『鬼より怖い』について、山口は父の介護をめぐって息子たちが話し合っているところがやがて父親の視線による物語へと変化していく構成が興味深いと評価した。

 最終候補になった作品のうち、『コンビニエンス・スペースシップ』について、菱井はコンビニと宇宙船のイメージを重ねようとする劇作としてのアイデアや、マイクや映像などを取り入れた手法によって作品が構成されていることが興味深く、それでいて登場人物はいずれも確かに描かれていると高く評価した。一方アイデアの豊富さについては田辺も山口も同意したが、例えばコンビニが本当に宇宙船になってしまうくらいの突き抜けがあればいいのだが、さまざまなイメージが現実に戻されることに物足りなさを感じる旨をともに述べた。ただ菱井は現実に戻る点こそを評価しており審査員のなかで意見が分かれた。

 『すっからかん』について、田辺は詩のように洗練された台詞によって不条理性の強い物語が成立していることを高く評価した。山口も田辺に同意しつつ学校に通う昼の場面と自室が海を往復する夜の場面の対比にも注目した。一方、菱井はその散文詩のような台詞によって作品はかえって分かりにくくなっているのではないかと述べた。

 『私は』について、菱井は物語が宇宙にまで発想が飛んでいく大胆さに魅力があると述べ、山口は岡田嘉子をモデルにした物語を昔話のように語ろうとする趣向やト書きの方法についても面白いと述べた。田辺は俳優が与えられない台詞を探す旅に出るという物語の出発にとても惹かれたがその旅路が劇中に出てくるさまざまなイメージのなかでつかみにくくなったと述べた。

 『猛獣のくちづけ』について、菱井は物語世界の描写力を高く評価し今回の応募作のなかでもっとも推したいと述べた。山口はイヨネスコの『犀』との強い類似性を指摘し作者がそのことに自覚があるのかないのかが問題である旨を述べた。田辺は周りの人が次々にワニになっていくという物語の大きな枠組みが結局人々の「寂しさ」に収斂していくところに物足りなさを感じると述べた。

 『G線上のいもうと。』について、山口は今回の応募作のなかでもっとも高い評価をした。作家である高校生が高校生を描くのに冷静な視点があり、ことば選びのうまさ、そして大人になってからの主人公の描写など現実との対峙も押さえられ紋切り型なものに陥っておらず、どのようにして書いたのか不思議なくらいだと述べた。田辺も同作をとても高く評価し高校生でなければ感じられないことを高校生でなければ書けない書き方で書いたものだと述べ、その繊細で詩的な描写を具体的な台詞を挙げて示した。一方、菱井は、感覚の鋭さには感心するが物語の広がりがもっとあればと述べた。

 最終候補作品の議論を経て、授賞に相応しい作品に菱井は当初『猛獣のくちづけ』を挙げたが『犀』との類似性が指摘されて『コンビニエンス・スペースシップ』に変え、山口と田辺は『G線上のいもうと。』を挙げた。山口はこの作品を逃すとわれわれ審査員は恥をかくことになるとも述べ、菱井も『G線上のいもうと。』の授賞に強く反対はしなかった。二作品の授賞や佳作についての提案もあったが議論になるほどではなく、例年よりも早い時間で『G線上のいもうと。』の単独授賞という結論が得られた。

〈選評〉⼭⼝浩章(演出家)

 第1回の時に応募が34作品だった田畑実戯曲賞ですが、7年も続き、今年は71作品の応募がありました。その間、コロナがあり、それ以外にも人間座自体にも大きな変化や困難なこともある中で、菱井さんの続ける努力に頭が下がる思いと共に、ご応募いただいた劇作家の皆さまには心より感謝申し上げます。

 選考過程の詳細は田辺さんが書いて下さっているように、71作品から1次選考で16作品が選ばれ、話合いで最終候補として5作品が選出され、最終的に堤千尋さんの『G線上のいもうと。』が、第7回田畑実戯曲賞作品として選ばれました。

 この作品の魅力を一言でいえば“研ぎ澄まされた言葉”といえるかと思います。ストーリーは一人の女子高生の日常にある様々なことなのですが、それをどこまでも冷静に深く見つめて言葉を丁寧に紡ぐことで、とてつもない魅力が生み出されているというのが感想です。多くの綺麗ごとや、偽悪的なことや、絶望という言葉で片づけられそうなことを自身から外して、できるだけ正確に自覚的に、内に対しても外に対しても目を開いて、地に足をつけながら、とても深いところに潜っていく。私の表現力ではどうにもうまく言葉にできる気がしないのですが、これがこの作品を読みながら持った感覚でした。一つ一つの言葉、一つ一つの文章にいつの間にかドキドキしながら読ませていただきました。審査会の時に田辺さんも似たような衝撃を受けたと話していたのが印象的でした。

 受賞作品以外にも、大変面白い作品があり、ここで私が書くことが励みになるかどうかは分かりませんが、私の自己満足のために紹介させていただきたいと思います。

 最終候補に残った作品の中で特に面白かったのが向坂達矢さんの『私は』と街の樹さんの『すっからかん』でした。

 向坂さんの『私は』は自分のセリフを探して宇宙まで旅をする女優の話。一見ぶっとんだ話ですが、参考文献にあるように岡田嘉子とテレシコワの話をモチーフの一つとして使用しているように、歴史的な広がりを感じさせるものでした。また、ト書きも独特で、遠慮がちな提案のようであったり、自分が書いたセリフへのコメントのようなものであったりと、発話しても面白いような部分もあり、戯曲やそのスタイルにたいする独自の試みがなされているように感じました。

 街の樹さんの『すっからかん』は自室が夜になると海に向かって動き出す「寝台部屋」になるという話です。主人公の女性にはかつて周囲に流され、友人を救えなかった過去があり、現在でも昼間は周囲に合わせて自己の中身が空っぽになっている感覚を持っていて、夜の静かな海辺を眺めることで自己(貝殻)の中身を回復したいという想いがある。ある日、知らない女性が「寝台部屋」に乗り込んで来ますが、事態が激変するわけでもなく、淡々と昼と夜が繰り返されます。何かが大きく変わるのではなく、少しずつ水滴がたまっていくような物語で、静かな夜「寝台部屋」が電線を伝って移動するさまや、海の景色が思い浮かぶ、詩的な言葉遣いが印象的な作品でした。

 最終候補には残らなかったのですが、西本浩明さんの『鬼より怖い』も面白い作品でした。ボケ始めた父親を三兄弟の誰が面倒みるのかというストーリーなのですが、ト書きで、小道具に具体的なものか、その小道具をモチーフとした具体的でないものかの指定があります。例えば、瓶ビールは具体的なもの、コップは具体的でないものといったように、小道具が登場するたびに逐一指定があります。これはどういう指定だろうと読み進めていくと、三人の息子がお面をつけて登場する場面で父親が発する「あいつどんな顔だったっけ?」というセリフで、これまで三兄弟の目線だと思って観ていた世界が父親の目線だったことに気づきます。これまで“困った父親の相手をする息子”目線だったものが“息子の顔も思い出せない心細い父親”目線にぐるっと反転する仕掛けは、大変興味深い体験を与えてくれました。

 これも最終候補には残らなかったのですが、田宮ヨシノリさんの『深呼吸』も興味深い作品でした。ある人物の死体を埋める作業から始まり、その埋められる人物の中学時代から死ぬまでが描かれるのですが、核心的なことはできるだけ書かずに、たとえ話が多用された表面的な会話で構成され、その会話を聞くうちに、いつの間にか登場人物やその背景の深い部分に潜っていくという感覚が特徴的な作品でした。会話で事実や登場人物の想いが積み重なっていくという感覚はよくあるのですが、表層的な会話を聞くうちにいつの間にか螺旋のような渦に呑まれて潜っていくという感覚はあまり味わったことがないと思いました。あとから考えてみれば『深呼吸』というタイトルや穴を掘るという行為もそうしたものを暗示しているのかもしれないと思いました。

 他にも興味深い作品はいくつもあったのですが、あまり沢山になりすぎるのもどうかと思いますので、このあたりで筆をおかせていただこうと思います。  最初に審査員のお話をいただいたときに、この期間でこんなに多くの戯曲を読むのは大変だなあと思うこともありましたが、今では、多くの作品に出会えることが嬉しくなり、田辺さんや菱井さんと、読んだ戯曲について話す選考会が楽しみに感じるようになりました。この戯曲賞に携わらせてくださった菱井さんと、多くの出会いを下さる脚本家の皆様に改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

〈選評〉⽥辺剛(劇作家)

 台詞だト書きだといろんな言い方はあるけれど、結局紙面にあるのはことばの羅列であって、作家がことばとどのように向き合っているのか、自覚のあるなしに関わらず、その態度や小難しくいえば思想、言語観が作品そのものの土台になる。どんなに奇抜な劇的仕掛けや稀有な登場人物を思いついたってそれらを現前せしめることばの土台が脆弱ならば、そもそも表現に至らなかったり頼りないものになるだろう。

 日常の会話でふと衝いて出たような素朴な一言、会話から切り離してみればありきたりなフレーズが聞いた側の記憶にいつまでも残るようなことがある。書き記されたことばでも同様で、例えばわたしにとっては『すっからかん』であれば「丑三つ時の太平洋」だし、『G線上のいもうと。』であれば「蝉が鳴きました」だ。そうしたことが起こるのは、ことばに作家のアイデアを伝える道具だけではない側面、ここではさしあたり詩的側面と呼ぶが、それがあるからだ。ことばが道具として見なされるときには表現の対象は別にあってそこにどうたどり着くかに執着されるが、詩的側面に着目すればことばはそれ自体が表現の対象になる。私見によるとことばの本質は詩的側面にこそあるのだが、とにかく多くの応募作のなかでも『すっからかん』と『G線上のいもうと。』は作品がことばによって成り立ちながら同時にそのことばを目がけているものでもある。そうした作品は特筆すべきだとわたしは考えている。

 街の樹さんの『すっからかん』は、女子大生のマンションの自室が深夜になると寝台列車のように海へ移動するというお話で荒唐無稽なファンタジーのようにも思われるが、それを綴ることばがこの作品に一篇の詩のような輝きを与え、そのイメージを喚起する力はある場面では読者を「丑三つ時の太平洋」の前に立たせる。長い台詞はもちろんのこと、短い一言にもト書きにもことばの詩的な響きが満ちている。注意したいのは、先にも述べたように、荒唐無稽なファンタジーがきれいなことばで飾られているのではなく、そのことば無しにはこの物語自体がそもそも成立しがたい関係にあるということだ。奇妙な言い方だが、ことばを読むことと作品を読むことが一致している。両者が分かちがたく一つの作品に結実しているその密度は候補作のなかで抜きん出ていた。以前にご本名で応募された作品も印象深かったけれど、本作はさらに強い印象を与えるものだった。

 堤千尋さんの『G線上のいもうと。』は、学校や家庭の閉塞感のただなかにいる詩織という女子高生の物語。詩織は妹に暴行することで「自慰」してしまう自分の話を聞いて欲しいと先生に向き合うも、その話は「先生が好き」という告白とないまぜになる。それは憧れの延長にあるような「好き」ではなく、自分を救って欲しいというサインでもあり、もちろんことばどおりの意味もある。先生を口説くような会話のなかで感情は乱反射して一括りに説明できない、そんな繊細さと複雑さをことばが台詞やト書きとして体現している。たしかに『すっからかん』ほどには物語とことばが渾然一体となっているような印象はない。言うならば詩織の自分語りの物語ではあるし、そうした点で他の審査員が述べるように物語は一個人のなかに留まっていて広がりに欠けるとも言える。しかし、とある女子高生の日なたも日陰も、そしてそれが瞬間に入れ替わるような変化も体現することばはどこまでもその個人の奥深くへ読者を連れて行くし、狭いからこそ高校生の視野なのであって、なによりこの作家は十分にそのことを承知している。場面の転換やコロス、音楽の使い方などに粗いところもあるのだろうけど、高校生という時期にしか見えない感じられない曰く言い難いものに肉薄することばはそうしたいくつかの欠点を軽く凌駕する。一節を引用するだけでは意味はないけれど一つ二つ。詩織はあるとき学校の唯一の友人であるMにリストカットの傷を見せられた。

詩織 そう言って彼女は袖を捲り上げました。夏なのに彼女は冬の制服を着ていました。いつもそうでした。袖の下には彼女の黄色い肌と、それを湿らすじめっとした汗と、乱暴なよこしま。邪な傷が、数本、走っていました。血が固まっていて、彼女がその下で生きていて、それが外気に当たって、蝉が鳴きました。

 詩織はやがて高校を卒業して実家から遠く離れた大学に進学する。そして教員になろうとしてその実習のときにはじめて実家のある町に戻ってくる。作品全体からしてさほど多くない紙面で描かれる高校生から「先」の場面でもってこの物語は完結するのだけれど、そこには若い作家にありがちな自意識過剰な自己憐憫はない。幕切れのト書きでは、作家がどこまでも冷静で、けれども諦めてもいない眼差しで詩織の未来に続く線を見遣っていることが分かる。実家に来てみると家族は不在で詩織はしばらく玄関前に座り込む。

詩織、我が家のドアにキスをする。

詩織、立ち上がる。先生らしく。

歩き出す。そこはやっぱり、線の上。

 今回は『G線上のいもうと。』を強く推した。『すっからかん』も十分授賞に値する作品ではあったが、受賞作は一つであるべきだというわたしのモットーと審査会での議論によって周知の結論に至った。

受賞者コメント

堤 千尋

 この度は、受賞ありがとうございました。
 私にとってこの作品は、私の高校生活をできるだけ悔いが少なく終わらせるための最後のチャンスそのものでした。受賞作を書き始めた当時、高校二年生の冬、3年生を迎えたら受験勉強に向け、所属していた演劇部を引退することになっていた私は、私の高校生活を2年ばかりであるものの、全てと等しいほどに充実させた演劇への別れが惜しくてなりませんでした。楽しかったことと同じくらい悔しく苦しまされた演劇という存在に、一旦終止符を打つために、私の青春を形として残すために『G線上のいもうと。』を書くことに決めました。
 『G線上のいもうと。』はフィクションであり、主人公の詩織は私自身であるとは言い切れませんが、私が女子高生として確かに生きた時間を記録することができたように思います。
 高校生のまだ幼い作品を評価していただき、本当に嬉しく思います。私の青春もこれでやっと美しく終えられるように感じます。
 ありがとうございました。

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堤千尋(つつみちひろ)。2006年生まれ。
福岡県立八女高等学校在学中の高校三年生。(受賞作執筆時は高校二年生)八女高校の映演部(演劇部)に所属し、脚本担当や役者として活動。